いつものように(*1)、デジタルスケール(5mm)の画素数をImageJで計測して、画像解像度をキャリブレーションする。
■計測結果:
横方向は、10本で、3.92mm → 2.55本/mm
縦方向は、10本で、2.77mm → 3.61本/mm
(*1)いつものように:
http://imeasure.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-c2ae.html
(■おまけ■)
カタクラ財閥の創業者の実弟であり
片倉松本(清水)工場の工場長だった 今井五助(いまいごすけ)
(婿養子に入ったから今井姓)
彼は、 日本が、ヨーロッパ(イタリア)と中国の生糸生産額を
追い越した後の課題を解決しようと思案していた。
ヨーロッパは病気が流行り、製糸業が壊滅し、
中国は、英国によるアヘン(麻薬)攻撃で国力をそぎ落とされた、
その隙を塗って日本の製糸業が、一気に世界トップに躍り出る。
その時の生産拠点のトップは、今の岡谷市、
諏訪湖の天然の水力 天竜川の河口(河岸)に工場が並んだ。
岡谷で生産された生糸は、中央線で運ばれて、八王子で集積され(八高線で富岡の生糸がやってくる)横浜の赤煉瓦倉庫を埋め尽くす。
課題とは何か。
縦糸は太くて不揃いでも良い。
でも、横糸は細く、しなやかで均質である必要がある。
縦糸の市場では、日本の生糸はトップとなったが、横糸の市場ではまだ、日本の製品の品質は悪かった。
今井五助はちょうどその時に、東京大学の生物学の先生が、
雑種交配技術を開発したことを知る。
いわゆる、種で言えば、F1だ。
その研究の素性を見抜き、今井五助は、松本平の農家に、無償で、F1蚕種を一斉に配る。
翌年から、F1蚕種は成功し、今までに無い、優れた蚕糸が生産されるようになる。
その噂を聞き、全国から、松本平に F1蚕種を購入しに買い付けにやってくるため、松本は大変賑わった。
F1蚕種の発明・採用からたった5年で日本の蚕種市場の8割を独占するようになる。
現在の、はかり資料館の建物は、軽いけど非常に高額な卵を計量するために、東京の秤の老舗が松本に支店を出した名残だ。
何故、長野県にひとつだけある、日本銀行の支店が、松本市にあるのか。
それは、今井五助の成功によるものである。
その名残が カタクラモールの名残の建物、スクラッチレンガであり、
現在、イオンの中の(ヒカリヤ)の下に残してあるレンガだ。
そのレンガの一角には、今井五助の栄誉をたたえたパネルがある。
あそこだけは、松本市民は一度は見ておくといい。
絹本(絹の糸)の縦と横を眺めていて、ふとそんなことを思い出した。
■出典:
蚕糸王国信州ものがたり (信毎選書)
2016/10/7
阿部勇 (著, 編集), 高林千幸 (その他), 伊坪達郎 (その他), 小野和英 (その他), 桂木惠 (その他), 山浦直人 (その他), 前川道博 (その他)